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連載「おにぎりと、私。」名倉

 

 

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・・・

 

おにぎりと私。

 

そう聞かれて思い出すのは小学6年のとき。

運動会や修学旅行の際、

なぜか父親がはりきって弁当作りにいそしむ。

その姿は少年にとって

その後やってくるであろう恐怖と辱めしかなく、

かといって断ることもできないものだった。

 

運動会。

昼食はそれぞれの家族単位でグラウンドで食べる習慣のあったその頃、

少年少女の活動を見学している沢山の親御さんの片手には、

息子または娘と一緒に食べるであろう弁当がぶらさがっていた。

どこの親を見ても、ぶらさがる弁当はこじんまりとしていて、

素朴で可愛らしく、愛嬌のある姿。

まさに弁当とはこういうものだ…と、世界共通の認識がそこにはあった。

 

遠くて満面の笑顔で息子の名前を呼び手をふる父、隣りで苦笑いの母。

周囲の目を気にする歳に差し掛かろうとする少年にとって

地獄の刻がやってきた。

 

(ベルセルク風にいえば、降魔の刻)

 

ほれ。と渡された弁当。

それは不必要なまでに大きく高くそびえたち、

絶大な存在感をもって紫色の風呂敷に包まれやってきた。

 

(周囲の好奇の目が集まる…)

 

紫色の風呂敷をほどくと、

3段に重ねられたお重が鎮座ましまし現れた。

 

(周囲のちょっとした歓声…今風に云えば、ありえな〜い。)

 

絶句する少年を放置し父と母はそれぞれ自分用の小さな包みをほどくと、

そこにはちょうどいいサイズのおにぎりが三つ現れた。

 

どうやら目の前にある3段のお重の中身はすべて少年のものらしい。

 

(本漆塗りだぞ、と父曰く。そんなことは、どうでもいい。)

 

蓋を開けて1段目はずらりと隙間なく並ぶ卵焼き。黄色く眩しかった。

2段目。開けて一瞬なんのことかわからなかったが手羽先の唐揚げが

1段目同様隙間なく敷き詰められている。山脈のようだった。

3段目。もうおわかりのことだろうけど…

そこに並ぶは、一糸乱れず整列するおにぎり。

おにぎりという名の全体主義と行動。

綺麗に3列に並ぶ姿は恐怖でしかなく、

白と黒のコントラストに畏怖を覚え、目眩がした。

少年はその後のことは覚えていない。

幻であってほしい…

この恥ずかしさから早く逃れたい…

と、かき消すように食べ尽したのだと思う。

いくらかの記憶を忘却の彼方へほふりながら。

 

おにぎり。

それは、それぞれの人生の郷愁を呼び起こすもの。

同じ体験をせずとも、互いにわかちあえる過去の記憶。

 

今年のくらしのことカフェで

どんなおにぎりが届けられるのか楽しみである。

 

 

追伸

おにぎりは塩おにぎりが好きで、

予め海苔がまいてあるものは好きではない。

海苔のへにゃっとした姿が美しくなく、

口にいれた際の舌触りと香りが気に入らない。

それもまた、おにぎりと私。

 

名倉哲

 

・・・

 

※次回「おにぎりと、私。」更新は8月28日公開。

 是非ともご覧くださいね!

 

*2016年11月26日(土)27日(日)開催となります*

 くらしのこと市出展者紹介は9月中旬にご案内する予定です


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